患者さんの死

日、Aさん(患者さん)が亡くなりました。

元軍人の方で、家の中は本の山。
とても博識で社会の出来事にもとても興味を持ち、最後まで日本の行く末を案じておりました。

特に戦時中のお話は私にとってとても興味深いものでした。

人は病気を得、自分の体に危機が迫ると余裕がなくなり、多少なりとも平時とは違ってくるものですが、最後まで私にも丁寧な言葉で話され、在宅での死や自然なる死を望んでおられました。

ご夫婦で生活されていましたが、その患者さんの「死に際に発する言葉」、「経験」や「ご遺志」はこの核家族の社会では全く途絶えてしまいます。

人の「死に際」又は「死にかた」と言うのは後の世代への、最後で最高の教育の機会だとも思います。
どんな哲学と思想を持って死に臨むのか、Aさんは人より沢山の死も見てきただけに、自分の「死にかた」がありました。

最後の最後まで治療を楽しみにされていたと奥様よりお聞きし、泣けてきました。

自分勝手、個人主義、ご都合主義者がはびこる日本社会において、国家や社会、地域、家族の為に生きてこられた世代の方々の死は本当に日本の損失ですね。

Aさん達高齢者からのバトンを私達鍼灸師は確実に受けとり、そして受け渡していきたいと強く思いました。

by 五味哲也

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