毎月のコラムから
患者さんに毎月のスケジュールをお渡ししています。その裏には毎回、陰陽五行論を中心にした江戸の町つくりやら、暦や易の話などを載せているのですが、とても好評です。80歳90歳の方々にも新鮮な情報らしく、「過去のも全部頂戴」「本にしたらどう?」なんて褒めて頂き、ますます頑張っちゃいます。紙面が限られているので、深くは書けませんけどね。
ちなみに来月の記事は・・・・
-陰陽五行論とペルシャと日本についての雑話―
先月、京都の祇園祭が行われましたね。1100年以上も続く古いお祭です。祇園祭の山鉾にペルシャ絨毯が使われています。ペルシャと言えば今のイラン。
随分と遠い国ですね。そしてメソポタミア文明が起こった歴史の古い地域です。これまでコラムで書いてきた陰陽五行説はそもそもどこから来ているのか?教科書的には中国とされていますが、更にその前は、どこから来ているか?興味が湧きました。祇園祭でさえ国際性があるのですから、教科書を鵜呑みにできません。
ペルシャにはゾロアスター教という旧い宗教があり、これは「善悪二元論」を特徴としています。すべての物を相反するものに分ける考えは、「陰陽」の考えと非常に似ています。3,500年以上の世界最長と言われるインドの伝統医学アーユルヴェーダの中には五行論(または四元論)に似た考えがあります。(ちなみに西洋医学の先祖である古代ギリシャ医学も四元論が元になっています。)ペルシャのゾロアスター教や五芒星、インドのアーユルヴェーダが中国に伝わり戦国時代(紀元前300年前後)の鄒衍(すうえん)が陰陽五行論を体系化した、という説があります。
ゾロアスター教は別名「拝火教」とも言われ、送り火や迎え火として日本にもその影響がうかがえます。
さて、話を祇園祭に戻しますが、この祇園=ギオンはペルシャ語で「魂」を表す「ギヤーン」から来ているのではないかという説。そもそも祇園祭は疫病が流行った平安京で無病息災を願って行われました。その平安京を作ったとされるのが、聖徳太子の側近として有名な秦氏。秦氏は渡来人と言われています。(ちなみにエルサレムを日本語訳すると平安な京になり、祇園はヘブライ語のSIONから来ているという説もあります。またユダヤ教祭事と祇園祭の日程も重なる部分も多いとか…ユダヤ人と日本人がDNAでつながっているという説もあります)そして、聖徳太子の母親は穴穂部間人(あなほべのはしひと)「はし」とは漢音のパルとシーグの組み合わせから来ていて、ペルシャ人という意味だという説。そして太子が政治を行った飛鳥宮水落遺跡(=飛鳥宮)。聖徳太子が政治を行ったこの都の最大の特徴が、縦横に張り巡らした水道管から豊富な水を供給し、池や噴水を多く備えた水の都であり、ゾロアスター教の国サーサーン朝ペルシャの首都ペルセポリスと同じです。さらにペルセポリスの特徴が、都市全体が北西に傾いていること。古代オリエント文明研究家・岡田明憲「北西方向は神聖な方位の1つ、冬至の太陽は南東方向に出る。南東方向にでる冬至の日の出を正面から見るためには北西に自分が位置しなければならない。」ゾロアスター教では、冬至の太陽は春にむけて復活するという意味を持つ。 厳島神社も北西に向いているので、冬至の太陽が神社の真後ろに昇る。その厳島神社の神様は弁財天で、そのルーツは古代ペルシャの女神アナーヒター、ゾロアスター教の海の女神。ゾロアスター教の寺院は必ず水辺の近くに建てられること。厳島神社には神職に伝わる一子相伝の舞があり、1年に1回、元日の日の出から、およそ3時間にわたり舞われる。ところがその面は、異様に鼻が高く、明らかに異国の顔。さらにそのストーリーが胡人、つまりペルシャ人が猛獣に父を噛み殺され、復讐をするというもの。他には平清盛が厳島神社を造営したのは、同族である聖徳太子の繁栄にあやかるためだったのかもしれないとか、平氏の平が=ペイ=ペルシャだとか、調べるといろいろ出てきて、きりがありません!! ^_^; 歴史はミステリーですね!
しかし、一つ言えることは、国家という線引きがあいまいな太古の時代から、人や文化が往来していて、それぞれの形を作ってきたこと。現在、世界中で国家と国家がいがみ合ってるのは自分の尻尾に咬みついてるようなものかもしれませんね。^_^;
そして、「医」を古い字で書くと「毉」と書きます。巫=宗教とか巫術という意味で、宗教と医学は一身同体で切っても切れない間柄でした。私たちの体は、心や魂と一体化しており、それが人一人の存在を大きく超越した宇宙や自然の一部としてとらえている。またはとらえることが出来る伝統医学の知恵や経験は、人間が社会を営む上で普遍的な価値観として伝え続けていきたいと思います。
みなさん、絶滅危惧職種の鍼灸師の応援よろしくお願いします!(笑)
by 五味哲也