アフリメディコのセミナーに参加して

友人が立ち上げた国際NPO「アフリメディコ」主催のセミナーに参加しました。

講師は医師でした。
Drは3年間アフリカで外科医として赴任します。そこで3000例もの驚異的な数のOPEを行います。
その後、現在でもWHOや世界銀行への協力、途上国での保健システムの構築など素晴らしいお仕事をされています。最近ではNPOまで立ち上げました。

素晴らしい履歴以上に鍼灸師の私の心をとらえたのは、アフリカ赴任と同時に伝統医に弟子入りしたエピソードです。
伝統医を肯定的にとらえてくれている医師は非常にまれです。

アフリカで子供がはしかになります。
伝統医は子供がはしかにかかったのは、父親が悪いことをしたせいだと、断じます。
そこでまずは父親の治療からはじめます。
父親には熱湯のしぶきをかけます。
父親は自らのお過ちを悔い、反省します。
周りの家族もその過ちを知り、熱湯をかけられ悲鳴を上げている父親を赦します。
その間に子供は自然と病気が治ったりしていると、やっぱりそうだったと皆が納得します。

伝統医は実は病気を治療する過程の中で、家族の絆を深める触媒にもなっているのです。

私は鍼灸師の役割、社会において必要とされる存在になるにはといつも考えていますが、東洋医学の本質がなんなのかを現しているエピソードだと思いました。

現代の鍼灸師やまた、鍼灸学校など、どれだけ東洋医学の本質を伝えきれているのでしょうか?
治療とか治すとか、もちろん大事なことですが、患者さんにとってみれば、八百屋にきゅうりを買いに行って、きゅうりが八百屋にあるのは当たり前、ということと同じ意味でしかありません。

西洋医学に迎合する形で東洋医学の本質を曲げてないだろうか?

気づいたら、西洋医学の単なる一科となっていないだろうか。

先生が冒頭「健康じゃない状態って、その人が社会の中で役割を与えられてないってことでもあります」とおっしゃっていました。
例として、タンザニアのある伝統医は病人を自分の敷地に住まわせ、農作業をさせます。もちろん自分は薬草を調合して、その不治なる病に対して真剣に向き合っています。もちろん、治ることは少ないのだけど、共同作業を通して患者さんたちは精神的に癒されます。

これって、日本の湯治に似ているな、と思いました。湯治じゃなくても断食道場でも患者さんが共同生活しながら温泉や治療家が患者さんをサポートしています。

懇親会の席で先生に質問させてもらいました。
「どうして先生はそんなに柔軟な発想なんですか?私の知ってる西洋医は医学部教育の中で正しい答えがそれしかないような感じなんです。」

先生は「いやあ、僕はアフリカに行きたくて医師になったんですよ」と笑いながらおっしゃいました。

僕らがアフリカから教えられること、結構あるんじゃないかなあ…
そして、この先生のような感性を養うことが最も大事なことなのかもしれないな。

by 五味哲也

(旧)日々雑感

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