バンドン会議の記事

先日新聞を読んでいたら、「安倍首相インドネシアのアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の60周年記念首相会議に出席とありました」

(アジア・アフリカ会議=戦後の帝国主義に対してアジア・アフリカ諸国の民族自立、平和主義等が話し合われた初の非白人国家だけの会議。日本はアメリカに気兼ねして参加を躊躇していたが、反日の予想に反して日本のおかげで独立できた、と感謝されるエピソードもある)

バンドンという町はインドネシアの首都ジャカルタから車で2時間の距離にある高原都市で、大学も多く、アカデミックな雰囲気でもあり、冷涼な気候からオランダ軍の司令部もあった。バンドンを攻略した日本軍はこれをもってインドネシアを占領する。インドネシアの反蘭感情が強かった為、現地の反日は少なく日本軍の中にはインドネシア独立を助ける者もでた。この時の日本兵は戦後インドネシア政府から冷遇もされたが、のちにインドネシアの英雄墓地に埋葬されている。

私はバンドンと聞くと、日本敗戦後、再占領をもくろんだオランダとインドネシア郷土防衛義勇軍(ペタ)の戦いの場面を得意げに話すインドネシア人を思い出します。

バンドン会議の会議場が見学できるのですが(当時)その時にガイドが勝手についてきて(頼んでもないのに)最後にチップを要求してきました。
チップを払う理由もないのですが、あまりに一生懸命だったので、さすがに悪いよなあと思い、10円ほどのお金を渡した後の彼のがっくりする様子に大笑いした、そんな思い出もあります。

戦後オランダは欧州では最も反日感情の強い国になりました。(江戸時代から付き合いがあるのに)

インドネシアの独立戦争に日本人が参加していた内容の本を読み、その方々が眠っている英雄墓地がなんと私の家のすぐ近くにあり、すぐにお墓参りに行きました。こういった人たちが命を懸けて日本-インドネシアの関係を作ってくれたんですね。

もう亡くなってしまった患者さんにはインドネシアで戦争された方もおりました。
また、インドネシアのスマラン出身のおじいちゃんもおりました。今、思えば当時のスマラン事件(敗戦後の日本軍は武器を現地兵へ譲渡するのを連合軍に禁じられていた。その日本兵と現地兵との武器譲渡をめぐる最大の争い)
についてももっとよく聞いておくんだった…

記事を読んでインドネシアを懐かしく思いました。
現在のインドネシアとの友好関係を感謝すると同時に当時の事を知る戦争体験者のお話が今後直接聞く機会が減ってくるだろうなあ…と思いました。

by 五味哲也

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