終戦の時患者さんたちは…
終戦の日に患者さんはそれぞれどんな思いでその日を迎えたたのか、インタビューさせていただきました。
毎年、この時期には患者さんから当時のお話を聞くようにしています。
女性が多いせいか、皆さん疎開先でラジオをきいたそうです。
大半の方は終わって「ほっとした」とおっしゃってました。
その後の進駐軍による占領を心配するより、これで東京に戻れる、など安堵された方が多かったです。
また東京でも、その地域によって風景が違います。
十条などは旧陸軍の施設、その後は進駐軍が使用していたので、進駐軍やパンパンさんが多く、その患者さんは洋品店を営んでいたのでパンパンさんがよく来てくれたそうです。
パンパンさん(済みません、他に表現のしようがないので、そのまま使わせていただきます)は米軍基地にあるものが手に入るのでそれをよく、流していたそうです。
彼女らも戦争孤児が多く戦争被害者なんでしょうね。
大阪出身の患者さんは戦争に行った兄達が戻って来た時に誰もいないと不憫だから、お母さんだけ疎開せず、そのままその場で焼かれて亡くなったそうです。
その方は話しながら涙を拭いておりました。
今でも、夢に空襲の映像が浮かぶそうです。
皆さん68年経った今でも、克明に記憶され、話し始めると施術時間の30分では足りなくなるくらい、お話をしてくださいました。
認知症の方でも昔の記憶はよく覚えています。
戦争体験者といっても、人それぞれその置かれた状況が違います。
また、男性と女性の話す内容の重心も違います。
実は、終戦記念日に今年初めて靖国神社へお参り行って来たのですが、そのことを患者さんに話すと、ほとんどの方が感謝の言葉や靖国の遊就館で涙を流した想い出など、肯定的にとらえておりました。
政治的な事に利用されるのは、英霊達にとっても不本意では無いでしょうか。
懸念されるのは、戦争体験者の高齢化です。
88歳の方でも終戦時は20歳。
男性では戦争参加した最少年齢がこのあたりです。(志願兵を除き)
貴重な話し手がどんどん亡くなってしまいます。
by 五味哲也